外国で自分のルーツと向き合う

僕はロンドンに留学し、3年間暮らしたわけだけど、
ロンドンでは否が応でも自分と向き合わざるを得なかった。

自分が日本人であること、
それ以前にアジア人であることを痛感させられた。

そうアジア人だ。

日本人は自分のことをアジア人だと
いうことを忘れているフシがある。

「アジアの国々の人々は」

とか平気で言ったりする。

「いや、あんたもアジア人じゃね?」

とか思うけど(笑)、悪気なしに言ってしまうことがある。

でもロンドンでは、イギリス人は僕を見たらアジア人だと見なす。

それはもう圧倒的にアジア人なわけです。

「ああ、そうだよな、俺アジア人だよな」

と当たり前のことを感じた。

イギリス人(とロンドンに住んでいる外国人)は
日本人、韓国人、中国人の区別がつかない人も多い。

それは、多くの日本人が、スウェーデン人と
ノルウェー人とフィンランド人をぱっと見で判別できないのと同じだ。

同じくくり。

そうか、同じくくりなんだ・・・

これは結構な大きなインパクトだった。

もちろん日本人は中国人とも韓国人とも違うと思っているし、
一緒にするなよと思っている人もいると思う。

でもじゃあ、同じアジア人、
東洋人っていうくくりなのに何が違うの?

ということを考えざるを得なくなる。

日本人ってどんな民族で、韓国人や中国人とどう違うの?
日本ってどんな国で韓国や中国とはどう違うの?

という具合に、

つまり、自分のルーツに向き合うことになる。

その過程であまりに日本のことを知らない自分に愕然とした。

外国で外人として、マイノリティとして暮らすというのは、
自分のルーツやアイデンティティと向き合うことだった。

自分のルーツに向き合い、
これが好きで、これは嫌い、
これは許せるけどこれは絶対に許せない・・・

こういった一つ一つを知り、考え、
理解することが自分を知ることだと思う。

そして自分を知ることで軸ができる。
自分のなかに判断基準ができる。

軸ができれば、周りの意見に惑わされず、判断できるようになる。

流されずに自分の道を行く
マイノリティな生き方ができるようになる。

外国で暮らすことのメリットのひとつは、
否が応でも自分と向き合わされることによって
自分を知ることができることだと思う。

井ノ口

今日の一曲はこちら

The Roots 『Proceed』

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